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In the mind:すとっぷのブログ。いろんなこと、考えたこと、思いついたこと、見つけた物の雑記
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 なんかあるとすぐ評論家が口に出すせりふ。だけど考えてみると意外とむづかしい話。
国の責任。国って何だ?ってなったとき政経で習いましたね。国は、主権と領土と国民です。
領土に責任があるわけは無いので却下。残ったものは主権と国民です。日本は国民主権ですから主権は国民の下にありますね。ということは国の責任、っていうのは国民の責任。(もちろん責任のストレスのすべてが国民にかかるわけではないでしょうが・・・)

例えば、電車の事故があって誰かがきちんと管理体制をとらなかった国の責任だ、という。そして皆がうんうん、とおもう。次にでは貴方はこの事故に関して責任を感じてますか?と問う。ほとんどの人は、は?んなわけないじゃん。。そもそも言っている本人が他人事のようにしゃべるのです。国の責任だ!と。まるで自分は全く悪くないみたいに。。変な話です。

 その、、参加意識というか自分は国を構成しているものの一部なのだ、という意識?こういうものがまったくもって希薄なくせに、国が悪い国が悪い、というのはホントやめてほしい。
(国が悪いって言ってはいけない、といういみでは無く、それは必ず自己反省も含めてほしいのだ、ということです。)


 ある人は、一般市民は戦争責任は全く無く、A戦犯にのみ戦争責任があるかのように言う。でもかんがえてみたらウソですね、それ。A級戦犯だって生まれた時はただの赤ちゃんですから。それが、周りの環境に影響されながら生まれ育って、人や人の定めた制度に選ばれてその地位で仕事をしていたのです。それでああゆうことになった。。
もちろん本人の責任は重大です。ですが、彼らを選んだ精度、人間にも責任はある。そこからさらに突き詰めて考えていくと、其処に住む人々、つまり国民に必ず行き着くのです。
だからあれなんですよ、、国民はある程度において、一部の人間に責任を押し付けた(本人自身の責任に加えてです。)、とも考えられなくは無いのですよねぇ。。自由にモノをいえなかったとか、色々有るでしょうが、自由にモノをいえない雰囲気を作った責任の一端はまたまた国民に有るわけですからね・・・。
うぅーん、、むづかしいな。
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自らが出来ること。
社会にどのような形で関係していくのか。これは、私たち一人一人が考えなきゃいけないことよね。高校生だからとか一介の教員だから…なんて言い訳にしかならないよ。少しでも社会に貢献することがあるはずですね。私も反省しながら、心がけようと思っています。
Tannin 2006/05/14(Sun)10:12:30 編集
ふむぅ。
そのためにも幸せになることが重要だと思うのです。そして少しでもその幸せをふやせたらねっ。 
幸せな人間はひどいことあまりしないでしょうからねっ。それが集まった時、素敵な人間社会が訪れると思うのです。。
すとっぷ URL 2006/05/17(Wed)00:05:46 編集
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